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お寺の取組

開山から四百年の歳月が流れました。
イチョウをはじめとして開山当時より様々な木々や自然が當寺を見守ってくれています。昨今様々な環境問題を耳にします。
私たちは、世界の事より身の回りの事ばかり優先してきた事を反省しなければなりません。先祖から頂いた自然の中で生かされている私たちは、今こそ、この環境を次の世代子孫へ引継げるよう、またその考えを自覚し、行動していかなければなりません。
森巖寺は、実践の場として、開かれた寺院を目指していこうと考えています。また、幼稚園を通して、子供達の健康、体力、精神の育成にも積極的に取り組んでいます。

寺歴と由来

開基である結城秀康公は、その誕生から没するまでの三十四年間波乱万丈な生涯を送りました。母於万の方は、家康公の正室築山殿の奥女中でありました。秀康公を身籠ると築山殿を気づかい重臣の本多重次の屋敷に匿われ、そこで秀康公を出産いたしました。家康公の次男として誕生しながら、父との初対面は三歳の時。不憫に思った兄信康公の取計らいによるものでした。
数年後その兄が亡くなり、本来であれば秀康公が徳川の後継者となるはずでしたが、十歳で豊臣秀吉の下へ養子に出されました。これは小牧・長久手の戦の後の秀吉・家康公間の和解条件でありました。幼少の頃より文武に優れた秀康公は、養父秀吉の評価も高く、若年でありながら武勇に名を馳せました。秀吉に実子が誕生すると、婚姻により下総国結城家の家督を継ぎ、実父家康公の下へと戻ることになりました。

秀吉の死後起こった関ヶ原の役では、西上を懇願するも却下されました。秀康公以外に関東へ残す陣営を任せられる人材はないと判断されたためか、上杉景勝を牽制する留守居の役目を与えられました。その大役ゆえに合戦後の増封高は第一位で、このとき越前六十七万石の藩主となりました。江戸から遠く離れた越前での臨終に際して秀康公は、一乗院住職万世和尚に自分の死後に江戸の地に一寺を建立し、自らの位牌所とせよと命じました。

この遺命を託された万世和尚が高齢だったため、弟子の清譽存廓上人に託して、慶長13年(1608年)に當寺を開山。その建立にあたっては隣接する北沢八幡別当寺とし、森巖寺一帯は天領となりました。そしてその八幡を山号、秀康公の法名浄光院殿森巖道慰運正大居士にちなんで浄光院を院号寺号として、八幡山浄光院森巖寺と命名されました。徳川家の位牌所の多くは天下泰平後に創建されていますが、森巖寺はその直前に建てられた由緒ある寺院です。
本堂は2度の火災に遭いましたが、ご位牌は阿弥陀如来の元にある厨子に安置されています。徳川家の位牌所のひとつであるため、建造物などのそこかしこに三つ葉葵の紋が見受けられます。昭和の始めまで秀康公と関係の深い松平家の子孫が年一回森巖寺を訪れ、それを本堂からつながる奥行きの長い玄関で迎え、葵の紋の入った漆塗りの食器でおもてなしをするのが恒例だったと言われています。またかつては淡島堂で行われていた施灸も有名でありました。山門に掲げられる『粟嶋の灸』の看板は、その名残です。

境内ご案内

趣のある木の山門をくぐり、石畳の参道を進むと、正面には秀康公の位牌所として風格のある本堂が皆様をお迎えします。淡島堂や淡島幼稚園などの境内の建造物と開山当時からある見事なイチョウを始めとする木々が調和しており、昭和59年には世田谷区民の皆さんによってせたがや百景に選ばれました。緑豊かな佇まいと、由緒正しい400年の歴史。「お檀家様とのより良好なる関係づくり」「森巖寺の歴史を伝え、地域貢献の拠点となる環境づくり」の考えのもと、いつの時代も皆様と共に歩む、憩いの場でありたいと日々願っています。

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本堂

本尊は、阿弥陀如来立像を本尊仏とする弥陀三尊(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)です。
黄金の弥陀三尊の元にある厨子に秀康公の位牌も安置されています。2度の火災に遭いましたが、現在の本堂は昭和39年に建立されました。

淡島堂

現在の淡島堂が完成したのは天保7年。大黒様も安置されています。淡島堂に祀られる淡島様は、江戸時代、女性や子供に関するありとあらゆるご利益を授ける守り神と崇められていました。ご祭礼は医療と医薬の神の少彦名神。創建当時から佇む森巖寺の淡島堂は、開山上人に由来しています。
初代住職清譽存廓上人は紀州の出身で、持病の腰痛に悩まされていました。ある夜、故郷の淡島様が夢枕に立ち、灸治の零示を受けました。
早速、自分の足へ施灸すると、永年の腰痛が嘘のように全快したそうです。そのため、紀州加太の本社に願い出て境内に淡島様を勧請しました。
近くにある淡島通りの名前はこの淡島様に由来します。

不動堂・閻魔(えんま)堂

お堂に向かって左側に閻魔大王像、右側に不動明王像を安置します。この二つの像は、悩める人々を教え諭し、救いへと導く力強さの現れです。
閻魔大王はインド神話では光明神の一人とされ、人類の祖先で、最初の死者として浄土に住み、祖霊を司っていましたが、後に死者の生前の善悪の最終審判を下す地獄の神様となったと言われています。また、お地蔵さまの化身とも言われています。閻魔大王像は目を大きく見開き、怒った怖い顔をしていますが、これは再び罪を犯さないように叱咤しているためです。昔は子供の躾に「嘘をついたら閻魔様に舌を抜かれる」と言ったものでした。四角い冠を被り、右手に笏を持ち、赤い衣装をまとっています。閻魔大王像の脇には、三途の川のほとりにいて、罪の重さの目安とする亡者の着物を奪い取る奪衣婆の像も置かれています。

不動明王は大日如来のひとつの姿と言われます。閻魔大王と同様に怒った怖い顔をしていますが、仏の教えに従わず、煩悩をかかえ、最も救いから遠い衆生すらも、叱咤し、力ずくで救うという表情です。右手に魔除けかつ人々の煩悩を切る剣を持ち、左手に悪を捕縛し人々を救い上げるための縄を握り、背中には悪を焼きつくす炎を背負っています。不動明王像の前には像の体内に納められていた小さな不動明王像が置かれています。毎週日曜の12時~14時には不動護摩の祈祷も行っています。

 

針塚・石棺

毎年12月8日に行われている針供養は道具を大切に扱った先人達の思想を今に伝える貴重な存在となっています。古針・折針を豆腐に刺して供養し、供養された針は豆腐より抜き取られ、淡島堂正面にある石棺に納められます。森巖寺における針供養の創始は不詳ですが、安政3年(1856)刊行の『狂歌江戸名所図会』には同寺の針供養に関連した狂歌が詠まれており、遅くとも安政期にはこの地で針供養が行われ、その施灸と共にかなりの著名であったようです。

弁財天

弁天様の名でも親しまれています。弁財天はもともとインドでは水の女神様でしたが、水の流れる音から音楽、しいては伎芸や福徳を司る神様と考えられるようになりました。また、河のめぐみをもたらす豊饒の神でもありました。森巖寺の弁天様は八本の手をもつ一面八臂の姿で、頭上に頭は人、体は蛇の老人の姿をした宇賀神像が乗っています。これは民間信仰であった農業神・穀物神の宇賀神と習合した形と見られています。弁天様にはいろいろな姿をしている像があり、森巖寺のように八臂の姿のものの他には、二臂で琵琶を抱える姿をしている弁天様もあります。また弁天様の水の神様という性格と、財宝を与えると言う利益が由縁となって、弁財天に参詣してお金を浄めるとお金が増えるという利益があるともいわれ、弁天様の近くに銭浄があります。

日本では七福神の一人として、芸術、智恵、寿命、財宝等を与える利益があるだけでなく、悪夢や邪気などを取り除き、病気や苦しみを遠ざける、ともされています。またその姿の美しさから、愛敬の徳を表した神としても敬われています。

墓所

 

開山堂

開山堂は開創四百周年記念事業の一環として、お檀家様をはじめ、地域の皆様にも広くご利用いただけるよう、平成20年秋に建立されました。
開かれた森巖寺でありたいと日々願っています。
「森巖寺の歴史を伝え、地域貢献の拠点となる環境づくり」の考えのもと、開山堂建設・墓地基盤整備などが進められています。

淡島幼稚園

森巖寺の境内にある淡島幼稚園は、森巖寺先々代住職の加藤昌円上人によって昭和27年に開校されました。
都心にありながら緑豊かな森巖寺の伝統と慈愛のなか、浄土宗の精神を柱とし、三大仏忌や節分会などの行事をとおして仏心を育むことを基本理念としています。

イチョウの木

開山当時より境内にある樹齢400年以上の大イチョウの木。
大樹・銘木コンクールにも入賞したこともあり,世田谷区の保存樹に指定されています。
森巖寺付近の建物はイチョウの木を守るために、考えて建てられています。

年間行事

元旦 修正会
春分の日 春彼岸
4月8日 開山忌
5月15日 施餓鬼会
7月13日 お盆会
10月15日 お十夜会
12月8日
(年により日程の変更あり)
針供養
12月中旬 浄焚祭り

 

定例行事

毎月1回
日曜日午前9時~
お念仏会
毎月1回
土曜日午後2時~
写経会

 

修正会(元旦)

新しい年が浄土のような平和な年であるようにと祈ります。新しい年を迎え、菩提寺の阿弥陀さまに感謝の心をたむけ、お墓参りをし、ご先祖さまと共に新年を迎えましょう。

 

春彼岸会(春分の日)

お彼岸は中日に当たる春分の日をはさんで、前後3日、計7日間です。昼夜の長さが同じになる春分の日は、最も均衡のとれた最好時と考えられ、この日を仏道精進する好機と考え、檀信徒の皆様に集まっていただいてます。また、法要後は落語等の余興を楽しんでいただいています。

 

開山忌(4月8日)

當寺開基 結城中納言秀康公(1574~1607)の命日。森巖寺の開創は1608年(慶長十三年)のことでした。

 

施餓鬼会(5月15日)

餓鬼道に堕ちて苦しむものに、飲食を供養してその菩提を弔う法会です。私達はつい自分ひとりの力で生きていると錯覚する狭い 心(=「餓鬼」の心)が生まれがちです。この狭い心を開き、「心の餓鬼」を救い、有縁無縁に対して施しの心を持ち、その功徳を各家の先祖代々の諸霊に回向 する法要です。

 

お盆会(7月13日)

各家庭を中心とした先祖供養の法要です。これは、昔から日本人の心に深く浸透した信仰で、先祖への感謝、孝心と生命の貴さを教える法要です。

 

お十夜会(10月15日)

お十夜は、『無量寿径』に「此れに於いて善を修すること十日十夜なれば、他方諸仏の国土に於いて善をなすこと千歳するに勝れたり」とあるのに基づくと言われています。つまり、お念仏中心の法要で、大数珠回しと共に行ってお念仏の功徳を檀信徒の皆様に積んで頂く法要です。

 

針供養(12月8日)

この法要は、當寺開祖清譽上人が紀州の加太より淡島明神(少名彦名命)を勧請されお祀りしている淡島堂での法要です。「事八日」に1年間お世話になった道具を片付け、供養する風習があります。「針供養」は12月8日に行う地域と2月8日に行う地域があり様々です。現在では針を使うことが減った為、法要を通して身のまわりの物への感謝、大切にする事をお参りの方々や子供たちに伝えています。(一般参加可能)

 

浄焚会(12月中旬)

仏壇、仏具を新しくされ、ご不要になった仏具を今までの感謝の気持ちをこめ、最後の法要を捧げ魂を抜いて、お焚き上げ、ご供養する方法です。当日は経木塔婆に供養する物と施主の名前を書いてお焚き上げ致します。

 

定例行事

お念仏会(毎月1回 日曜日午前9時~)

この行事は、お念仏を中心に、日常勤行を皆様と一緒にお勧めし心の修養を行います。(一般参加可能)

 

写経会(毎月1回 土曜日午後2時~)

平成15年5月から始まった行事で、お経の説明を受け、一字一字心をこめて書き写し、御仏の教えに静かに浸る、大切で有意義な時間を過ごしています。(一般参加可能)

初めてご参加される方も大歓迎です。小学校高学年から参加可能です。皆様のご参加を、お待ちしております。

ご祈願